俺達は氷室京介を卒業できない

 

こんばんは、ナカムラです。

 

私自身は中学生の頃にHEATを聴いて、PVをみて

めちゃめちゃカッコイイなこの大人

と思いそれ以来
氷室京介さんの音楽には魅了されています。

 

一昨年の全国ツアー終了後、
ライブ活動からの引退を宣言した氷室京介。

 

引退の理由は、
持病である左耳の難聴と、年齢的な体力の衰えにより、
自分が理想とするライブパフォーマンスができない、
というのが主なもの。

 

実際、私もライブに何度も足を運んでいたので
氷室京介の作るライブは、すごく完成度が高く
その魅力から引退してからも
今ではフィルムコンサートをほぼ全国で
行われていて人気は衰えません。

今日は氷室さんから見る、
「引き際の美学」について書いてみたいと思います。

 

いつまでも現役でいる?

 

物事には、始まりと終わりが必ずあります。

「引き際の美学」とは、
アーティストやアスリートが引退する時に
使われる言葉です。

アスリートには
引退するタイミングに対して、
大きく分けて二通りの考えがあると思います。

年齢はいくつになっても
自分の体力の限界まで、
ボロボロになってでも現役を続ける人。

一方、技術的にも体力的にもピークを迎え、
まだまだ活躍できるチャンスも機会もある中で、
あえてその状態で引退を決意する人。

 

引退せずに続ける人としては
サッカーの世界だと、
前者がカズこと三浦知良選手。

スパッと引退してしまったのは
中田英寿さんが思い浮かびます。

 

どちらが良い、悪いというものではなくて、
それぞれの考え方がプロとして
素晴らしく、尊敬に値する姿勢です。

 

絶頂の中での解散

氷室さんの場合、自分がボーカリストとして所属していたバンド、
BOOWYは人気絶好調、まさに「これから」という時に解散。

 

その時に氷室京介が残した言葉は
「この4人でやれるだけのことはやりきった。
これからはソロで自分のやりたい音楽をやっていく」

 

氷室さんをよく知っている人ならわかると思うのですが、
この人気に甘んじない、手にいれた成功にすがりつくことなく、
スパッと止めて新しいものに立ち向かう姿勢は、
彼の音楽活動に対するスタンス、生き方そのもの。

 

そして若い頃の氷室さんのインタビューを読むと、
「いつまでもダラダラと音楽をやり続ける気持ちはない。
ある程度の年齢になって、納得できるステージパフォーマンスができなくなったら、
いつでもステージから降りる」

というような話もしている。

 

ただ、40歳後半になったあたりからのインタビューでは、
何歳になってもステージを続けるアーティストの人達・・・
ポール・マッカートニーやローリングストーンズの
ミック・ジャガー、エアロスミスのスティーブン・タイラー、
矢沢永吉さんの名前をよく挙げて、

 

「俺も見習ってギリギリまで頑張りたい」
というような心境へと変化していった。

氷室京介のライブパフォーマンスは非常に特殊。
BOOWY時代から激しいアクションをウリにしていました。
当然年齢による体力的な衰えから、
20~30代の頃と同じ様なパフォーマンスはできなくなります。

自分のためにもファンのためにも、
まだまだステージ活動を続けたいはず・・・

アコースティックギター一本で、
弾き語りというスタイルでやるとか、
激しい曲をやらずに、
バラード中心のライブをやるとか、
続けようと思えばまだまだできるはず。

 

でも、それはやらない。
自分が納得しないからやらない。

 

そして、自分が納得できないものを
ファンに見せるわけにはいかないから、やらない。

 

アーティストとしてストイックなまでに
音楽だけでファンに向き合った、
ファンが見たくないと思う氷室京介を
彼はやりたくなかったという事が1番にある。

 

それこそが氷室京介のライブにおける
最も真摯に音楽に向き合った美学だったんだろう。

 

それは氷室京介というアーティストが、
そうして貫抜いてきた音楽に対する美学を、

生涯最後のライブとなる、
あの日までも貫き通した姿を観て、

それが単なる”美学”を超越した、
“氷室京介という人間の生き様イズム”に
触れた気がした。

 

まさにそれこそが「引き際の美学」であって
引退しても、なお人気がなくならない
理由はそこにあるんだろうな。

 

俺達は氷室京介を卒業できない

 

それにしてもこのコピーは
ファンの心を刺すという視点で
見てもすごく秀逸ですね。

それでは、氷室さんのソロデビュー曲をどうぞ

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