子供の教育への姿勢とコンサルタントとしての姿勢

kazoku

 

どうも、ナカムラです。

 

ゴールデンウィークも明けて
いかがお過ごしでしょうか。

 

私は、久しぶりに実家に帰省し、
親戚が集まってきて話していたのですが

 

そこで、子育てについての
話題になり、子供にどんな能力を
身に着けて欲しいかというのがテーマになりました。

 

・サバイバル力
・英語、語学の能力
・コミュニケーション力
・金を稼ぐ能力
・アーティスト性
・時代を読み解く力
・YOUTUBER(ユーチューバー)笑

 

あらためて教育ってのは奥深く
難しいものだなーということ感しつつも
面白いですね。

 

この機会に教育というものを
あらためて考えてみたことをテーマにお伝えします。

 

※正しい間違ってるとかではなくて
あくまで私的な考えですので
1つの参考としてお読みください

 

モノを覚えるにも期限があるっていう話

あなたは、
「臨界期」という言葉を
ご存知でしょうか。

これは、何か能力を身につけるには
能力におおじて適切な年齢があるという説です。

 

この話しの時で、最も分かりやすく、
よく取り上げられるのが、言語の臨界期です。
言語の臨界期は一般的に9才までと言われています。

 

絶対音感や、はしの使い方とかも有名ですが、
おそらくこの言語の話が有名で

 

9才までであれば、英語や中国語
多国語でも学習し覚えやすいと言われる話で

英語を「ネイティレベル」で使えるようにするには、

9歳までに英語を学ばなければならない、
と言われています。

 

その時期を過ぎると私たちが体験したであろう

「日本語で英語を学ぶ」

という学び方になり、
頑張って学べばネイティブ並みに話せはするけど
ネイティブにはなれません。

 

英語で考えて英語で話す
のではなく

日本語で考えて英語で話す
みたいになっちゃう、というわけです。

 

そうなると当然英語習得に時間がかかりますし、
苦手意識とかもできやすくなります。

LやRの発音や聞き取りに関しても
差が出てきますし、当然リスニング能力も
大きく差が出てきます。

 

ネイティブと非ネイティブを分ける
越えられない壁がこの臨界期に形成される、
というのがこの臨界期説です。

 

この話は割とテレビや本なんかでも取り上げられていて、
一般の人にも認知されている話たど思います。

 

当然教育ママとかはこういうのを喜んで見ると
思いますし、そして多くのママさんたちが
それを良しとして

その結果、

「小さい頃から英語に触れさせなくっちゃ」

ってなります。

子ども英会話に英会話をさせるわ!

って方もよく見かけられます。

 

このあたりの議論は
ネイティブが、ほとんどいない
日本では非現実的だ!みたいな反論や

 

幼少期に複数言語に触れされること
自体を懸念する話も出てたりしますが
それはおいておいて

 

この臨界期という考え方は英語に限らず、
ピアノやバイオリンもそうですし、
スポーツとかもそうなります。

 

スポーツに臨界期は聞いたことないですが、
幼い頃からやっていた方がいい、
みたいに考えるなら同じことですよね。

 

こういう意識を持つ親は小さい頃から子どもを
それに適した環境に置こうとします。

ピアノ
水泳

英語
バレエ
バイオリンetc…

いわゆる「教育熱心な親」は
だいたいこんなように
考えているのではないかと思います。

幼い頃から「習慣化」させることで
なにかしらの特技を身に着けさせる。

 

他の子どもと差別化させよう

もしあなたが

・幼い頃から自分で考えさせたい
・ビジネス的な素養を身につけさせたい
・いろんなことに挑戦する習慣をつけたい

とか思ってるなら
こっち側の視点に立っている
と思っていいんじゃないかと思います。

 

この教育熱心な説に対して、
このような説もあります。

早期教育は子どもの脳に悪影響を与える。

という説があって

 

脳には、最大的に活用することできる

「脳のスペックを決める」

時期があると言われています。

 

それは、

3歳までがその第1段階、
9歳までが最終決定で

5歳も段階としては案外大事だとか、
とにかく特定の時期を過ぎるとある程度
脳のスペックが固定化する、
というのがその説です。

その時期をすぎると、新しいソフトを入れたり
ソフトを改善したりすることはできますが、
スペック自体を変えることはできないと言われています。

 

同じエクセルのソフトを入れるにしても
処理速度が違ったら大きく変わる。

 

そもそもスペック的に、
機能しない可能性もある。

 

高性能ならすぐできるようになることも
スペックが劣ると時間がかかったり
まったくできるようにならなかったりするので

 

この時期に、脳自体のスペックを
上げることが、後々に大切になります。

 

まとめると、
脳には脳自体を育てる時期(スペック期)と、
脳の使い方を教える時期(ソフト期)が
あるということです。

 

で、この説を聞いた親は
たぶんこういうと思います。

「じゃあ脳を育てなくっちゃ!」

となると思うのですが

 

脳を育てる方法として
有名なのはこの辺りです。

 

・運動
・睡眠
・多様な五感刺激

 

9才までにできるだけたくさんの脳細胞を
刺激することが推奨されています。

 

頭を良くするには、運動が1番
最適だと言われていて

運動はニューロンの数を増やす。
脳を鍛えるには運動しかない。

なんて本も出ています。

 

優秀な社長やビジネスマンは
毎日の筋トレや運動を欠かさないという話も有名ですね。

 

いずれにしても、この正質を上手く活用するなら
とにかくいろんな運動をさせたほうがよく、
刺激も偏らない方がいい、ということになります。

 

特に五感刺激が重要になります。
いろんなものを見て聴いて触って嗅いで舐めてみる、
というのがとても大切。

 

運動にしてみても
野球だけよりは

サッカーも
テニスも
水泳も
スキーも
マラソンも

やらせた方がいいわけです。

 

今紹介した2つの説は少なからずの部分で
被ってくる部分があります。

早期教育は特定の領域に特化するので
当然のように刺激がかたよります。

 

時間もそれに取られることになりますから
与えられる刺激の量も種類も減ってしまいます。

 

そうなると脳の成長的には悪影響という
ことになり、子どもにとっての害悪、
ということになってしまいます。

 

しかしながら、語学や音感のように
幼少期からやっていなければ
身につかないものもあり、

 

でも最近の事例だと、
早期教育が脳の発達にいい、みたいな
研究結果もけっこうあったりします。

どちらかを優先することはできなくて
片方を立てれば、もう片方が立ちません。

 

そして、子育てにはこういった情報
そういうものがたくさんあるんです。

 

子供の好奇心ってもとから備わっているモノか

 

話している中でも

「好奇心を身につけてほしい」

という意見と

「好奇心を失わないでほしい」

という意見がでてきました。

 

これは「好奇心」について、
その人の考えだと

子どもは元々好奇心を持っているもので
でも、それが徐々に失われてしまっている、
という前提があります。

 

学校教育とか環境とか親の接し方だとかで、
子どもの好奇心が失われ、
結果残念なことになってしまっている。

 

だからこそ好奇心を持ち続けられるような
接し方をしていきたいと考えているようです。

この辺は夢とか学習意欲も
そうですよね。

 

1年生の時には
みんな勉強したいと思っている。

 

夢を持って入学しますが。
3年生の時には勉強が嫌いになっている。

 

誰のせいだ?
学校のせいだ、みたいな。

 

学校に入れなければ
学習意欲は保たれるのか、

 

みたいな話は当然必要になるんですが
大事なのは身につけさせるという立場の他にも

「子どもが元々持っている力を失わせない」

という意見もあります。

 

こういう側に立つと、例えば早期教育はもちろん、
「大人や社会の影響をできるだけ排除しよう」
みたいな教育論も出てきます。

 

テレビやゲームも極力与えず、
自然の中で育てよう、とか

 

なんにせよ、どの立場に立つかで
取りうるスタンスが大きく変わってくる、
というのが重要です。

 

臨界期の立場に立ち、早期教育をするか。

脳の発達の立場に立ち、多様な刺激を与えるか。

 

できる限り自然の中で育て、
子どもが生来持っている力を維持する
方向で考えるか。

 

どの立場に立っても構わないし、
どれも間違ってないと思います。

 

大事なのはどれが正しいかではなく、何を選ぶか。

 

・何を身につけさせて、何を失わせるのか。
・何を失わせず、何を諦めるか。

 

これらを決めることが必要なんですね。

 

もし、あなたが子育てをしている立場だとしたら

子どもには何が必要か。

改めて考えてみてほしいです。

 

知れば知るほど、考えれば考えるほど、
答えるのがどんどん難しくなります。

 

今回紹介したような事前知識を
何も知らない方がパッと思いついて、
しかもそれに確信が持てます。

 

きっとこれが必要だ、と。
迷いなく子育てに向かえると思います。

 

しかしながら、そういう子育ては
ギャンブルと同じです。

 

わからないから、とりあえず
自分の思った通りにやるとか、

 

たまたま知っていた知識だけを使い、
必要だと思ったものは
とりあえず何でも与えてみるとか。

 

もちろんそういう子育てもいいと思いますが、
本当に子どものことを思うのであれば、
大人こそ、もっと勉強していくべきなのではないでしょうか。

 

子供に抱く思いは、幸せになって欲しい

 

子育てはいろんな視点から語られることが多く
一言でまとめることは非常に難しいのですが、
「親」に限ると、子育てをする親の思いは

 

「自分よりも幸せになってほしい」

 

というものにまとめられるのではないかと思います。

もちろん、「幸せ」の定義は人によりますけど

お金、友人、地位、権力、思考力はもちろん、
かつての自分と同じ失敗をしないこと、
なども含まれるかもしれません。

 

いずれにせよ自分以上に幸福になるため、
もっと別の言い方をすれば

「かつての自分がより幸福になる」

そのために必要だと感じるものを
子どもに与えているのではないかと。

 

巷では、子どもは自分の分身である。
なんてことが言われますし、

 

学校では

「子どもは親の鏡」

であることが暗黙の了解になっています。

 

めんどくさい子の親もめんどくさい、
病んでる子の親も病んでる、
虐待されてる子の親も虐待されている。

 

社会学的な研究とかでは
「親の社会的地位は遺伝する」
という研究結果もあります(格差の社会経済史)。

 

この話はとても深刻な問題提起で、
親の社会的地位が遺伝するとするなら
例えば親の地位が低い子は努力してもムダなのか、
という話にもなってきます。

 

生まれたときから越えられない壁があり、
才能のある人には勝てないことも
認めることになります。

 

もっと言えば犯罪者の子は犯罪者だとか
ナチスに代表されるような優生学的な見方も、
ある意味では、復活してくる場合もあります。

 

今回は親の視点である

1.自分より幸せになってほしい

という視点と、社会学的に言われる

2.子どもは親以上にはならない

このジレンマを乗り越えていく視点を
提示できたらって思います。

 

子育てをするお父さんお母さん、
特にお母さんを見ていると、子育て業界には
こんな「常識」があることがわかります。

「子育ては親の犠牲によって成り立つ」

まあ実際時間もお金も取られますし、
出産は痛いし母乳も血液みたいなもんですから、
一面ではこの視点も正しいとは思います。

 

ただ私が問題にしたいのは
特にビジネス業界とかで言われるような

「家庭を持つと成功しない」

みたいな話です。

つまり、家庭を持つ、特に子どもを育てていると、
どういうわけか親が成長しなくなる。

「母親」としては成長するかもしれませんが、
人としては歩みを止めてしまう場合が
多いように思うのです。

 

この傾向は子育てに熱心な親ほどそうで、
しかもそれを「良し」としている風潮があります。

子どもに習いごとをさせている親を見ると

「なんで自分はやらないの?」

と素直に思います。

やってきた経験があるなら別ですが・・・

 

英語もピアノも勉強も野球もそう。
基本的に親はやらせるだけで
自分は高みの見物。

 

少し熱心な親だと応援したりとか
教えたりとかはしてますが、
でも自分ではやりません。

 

習うこともしないし、
それに本気で取り組むこともしない。

場合によっては自分がやっていた
習い事をやめてしまうことすらあります。

 

こういうのを「子に夢を託した」なんて
言えば綺麗に聞こえますけど、

 

子どもがそれをやめたがったりすると
怒り狂ったり、ムリヤリ続けさせたりする様子は
半ばこっけいにも見えますよね。

現在、子育てをされている人はわかると思いますが、
子どもは基本的に親の真似をします。

 

親が料理を作っていれば作りたがるし、
掃除をしていれば手伝いたがります。

 

反対に、お母さんが何もしていなければ
子どもも何もしません。

 

テレビ見てぐーたらしてれば子どもも
一緒にぐーたらします。

 

押し付けなくとも、習わせなくとも、
お母さんがやっていれば
子どもは自然とやりたがるもの。

だから余計に思うわけです。

自分でもやったらいいのにと。

 

そもそも、子どもに何かをやらせようとするってことは、
それがこれからの子ども、あるいは自分に必要だ
と感じているからだと思います。

こんなことができたら素敵だなあっていう
自身の憧れがある場合もあると思います。

そんな思いがあるけど、自分はやらない。

なんか変じゃないですか。

 

自分はもう年だから?

子育てで時間がないから?

今からやってもうまくならないから?

 

一理はあるかもしれませんけど、
そう思ってるんだとしたら、
親の成長は当然止まります。

 

そうなると

「子どもは成長が止まった親を見て育つ」

のです。

 

そりゃあ子どもも成長しないでしょって話です。

 

そもそも親の言動に説得力がなさすぎる。
自分ができてないことを相手に求める・・・。

 

・・・あなたはどう思いますか?

ピアノをやらせたいなら自分がまずやって、
楽しそうに演奏したらいいと思います。

 

英語を話せるようにしたいなら自分が話すべきで、
映画を吹き替えじゃない状態で見て
1人で楽しんでいればいいと思います。

 

常にいろんなことに挑戦させたいなら、
自分が挑戦しないといけないと思います。

 

子どもは親の背を見て育つもので
話を聞いて育つわけではないし、

 

親の思いを汲み取って
育つわけでもありません。

 

親の姿を見て、真似をして、
生き方をなぞります。

 

親ができていないことは子どももできません。

 

もし仮にそれができるようになるとしたら
それは親以外の「憧れ」を見つけたときです。

「こういうふうになりたい」

と思うからこそ真似し、身につけます。

 

そういう人に出会えれば子どもは成長しますが、
そんな相手に出会えるのは早くても中学生以降、
遅ければ大人になってからです。

 

目標としたい人物に出会えることが
どれだけ幸運なことか、
皆さんはもうわかっていると思います。

 

その幸運に恵まれるまでは、子どもが
真似をできる対象は親しかいません。

 

親は子供を選べないという現実があります。

で、話を戻します。

社会学的に、子どもは親以上にはならない、
と言われています。

 

親の社会的地位は遺伝し、
(ほんの一部の例外を除いて)
多くの人が親とそう変わらない人生を歩むことになる。

 

その辺の根拠はいろいろありますし
いろんな人がいろいろ言ってますけど、
個人的には今まで話したような

「親の成長が止まっている」

ことに大きな原因があるのではないかと
思っています。

 

もちろん、いろんな本を読むほど
遺伝説の説得力は増していくわけですが、
希望的な意味も込めてそう思っています。

 

親次第で子どもも変わるはず。

 

親が常に考え、新しい環境に身を置き続け、
挑戦し、淘汰圧をかけ続けて成長していく。

 

巨人の星の星一徹とか、
淘汰圧の塊でしか無いですよね。

 

失敗を恐れず、むしろその失敗を何食わぬ顔で
乗り越えていく生き方をしていること。

 

子どもに必要な力を自分がすべて身につける、
あるいは身につけようとしていること。

 

そういう姿勢が子育てには大事なのではないか
と個人的には思います。

 

そういう意味では、親も子供を導く
コンサルタントであり、リーダーな訳です。

 

子どもは常に親の背中を見て育つ。

 

子どもは親以上にはならないのかもしれませんが。
その親が常に成長し続ける親なのであれば、
私たちより長い時間を生きる子どもたちは、
いずれ親より幸福になる。

 

子供は親よりももっとすごい人物になる。

と、個人的には思っています。

 

とにかく重要なのは

「親の生き方が子供の生き方そのもの」

ってことです。

 

諺でも、親の背中を見て子供は育つって言われますが
まさにそのことですよね。

 

これって教育だけではなくて
コンサルティングや人を指導する
リーダーの立場での人にも
めちゃくちゃ重要な視点なわけです。

 

親としては、ただ親として夢と希望を
子供に託す、過去の人ではなくて

子供を導くコンサルタントでありプロデューサー
の心構えを持っていて欲しいと思うわけです。

 

 

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